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「ジャニーさんとつかこうへい氏は同じ」 錦織一清が明かすレジェンドの共通点と我流の演出論
少年隊のリーダーとして一時代を築き、現在は『あゝ同期の桜』(8月13日開幕)など舞台の演出家として活動する錦織一清(61)。
自身について「アイドルとして活動した時間より、舞台をやっている時間の方が長い」と話す。
23歳で外部舞台に出演し、30代でつかこうへい氏と出会った。昭和の芸能界で身につけたもの、2人の演劇人から受け継いだ精神、我流の演出論、そして還暦を過ぎた現在の年齢観を聞いた。
「タイムマシンがあったら、当時の自分をぶん殴りに行きたい。そう思うくらい、嫌なやつでした。生意気で仕方なかったですね」
錦織が振り返るのは、少年隊として人気絶頂だった20代の頃だ。
「20代から30代にかけては、変に脂が乗ってしまう時期があるんです。何で、あんなにイキっていたのか。何で、あんなに偉そうだったのか。今も思い出すと恥ずかしいですよ」
中学生の頃から芸能界に入り、10代のうちから大人のスタッフに囲まれて仕事をしてきた。
「僕らがいたのは昭和の芸能界です。少しイキがって、ピンとしていないと、押しつぶされそうな重圧もありました。10代から大人にもまれて、引っ張り上げられないと、自分が倒れそうになる。そういう世界でもあったんです」
現在、舞台で接する若い俳優たちは、かつての自分とは違うという。
「今の若い子はしっかりしています。日本人は昔から『今の若いもんは』と言いますけど、僕が若い頃はどうだったんだ、と。黒柳徹子さんや森光子さんの世代の方々を、ずいぶん困らせていたと思います」
中略
錦織が外部の舞台に初出演したのは23歳の時。プロボクサーを演じたミュージカル『GOLDEN BOY』だった。それまでの舞台観が変わる転機になった。
「それまでは、舞台は歌って踊って、僕が踊れるところで、ちょいちょいとやればいいと思っていたんです。でも、芝居は本気にならなければ面白くならない。本気になるから、舞台は面白いんだと教えてもらいました」
その後、東宝の舞台などを経験し、30代に入って、つかこうへい氏と出会った。
「ミュージカルにも出て、新劇的な芝居にも出て、そろそろ安定飛行に入ったかなと思った時に、つかこうへいが現れた。そこでキャリアをボキッと折られたんです」
これまで積み上げた演技や価値観を、一度壊された。
「衝撃でした。でも、折られたから良かったんだと思います」
つか氏の作品と、ジャニー喜多川氏が作る舞台は、表現の形が大きく違っていた。
しかし、その現場に身を置く中で、錦織は2人に共通するものを見つけた。
つか氏の舞台で、階段落ちの衝撃を説明するため、舞台上からスイカを水槽に落とす場面があった。ある日の本番では、熟し過ぎたスイカが水槽に落ちた瞬間に破裂し、中身が舞台上に飛び散った。
「この後、僕が出て踊る場面だったんです。つかさんが雑巾を持って走ってきて、劇団員たちに『いいから全部拭き取ってこい。ニシキが滑ったらいけない。踊りなんか、どうでもいい。衣装を床につけてもいいから拭き取れ』と言ったんです」
自ら雑巾を配り、舞台の安全を守ろうとする姿を、錦織は舞台袖から見ていた。
「ジャニーさんが舞台にかけていた情熱と、つかこうへいさんの情熱は同じなんだと思いました。やっている芝居の店が違うだけ。洋食か和食かの違いはあっても、厨房でやっていること、持っているスピリットは同じだったんです」
その実感が、現在の演出家としての土台になっている。
「そのスピリットを持っていれば、両方をやっていいんだと思えたんです」
演出について専門的に学んだ経験はない。劇団や演劇学校で基礎から訓練したわけでもない。
「全部、我流です。ただ、実践で染み込んでいるものはあるんでしょうね」
自らのキャリアを、ゴルフに例える。
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ジャニさんは平和をテーマにしていたから全然違う
仕事の都合で別の学校に編入したけど
灰皿ぶん投げマンは蜷川幸雄のイメージ
灰皿投げは蜷川幸雄
つかこうへいは稽古中に役者を罵倒し続ける人
いい加減変えろw
髪の毛!
髪の毛!!
真似できんもん
アーーーーーーーッ!



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